K消防組合事件(熊本地裁)(パワーハラスメントによる自殺について国家賠償法の責任を認めた例)

裁判例

令和6(2024)年2月2日に、この判決が出されています。

事件は、一部事務組合が設置する消防署における上司と部下との関係において、上司のパワーハラスメント(以下「パワハラ」という。)が原因で部下が自殺したもので、遺族が当該上司の責任を国家賠償法に基づいて追及したものです。

なお、資料として、労働経済判例速報(令和6(2024)年7月20日)を使用しました。

事件(訴え)の概要

被告は、いくつかの町が地方自治法に基づいて設置した一部事務組合(以下「消防組合」という。)であり、事件の舞台となったのは同組合が設置管理する消防本部の予防指導課です。

また、原告は、自殺した者(以下「亡A」という。)の妻と子であり、亡Aは、当該予防指導課の危険物係長でした。

亡Aは、人事異動により平成31(2019)年4月1日付けで危険物係長となりました。その前任者は、亡Aの上司である予防指導課のF課長であり、同時期の人事異動のより危険物係長から予防指導課長に昇進した者です。

この関係の中で、F課長が亡Aに対してパワハラ行為を繰り返しました。

そして、令和元(2019)年5月6日の午後6時半頃、亡Aは妻に、職場で書類を作成する必要があるなどと言い残して外出し、翌日の5月7日に町内のグラウンドで遺書等を携えて死亡している状態で発見されました。

原告らは、亡Aの自殺はF課長のパワハラが原因であったとして、被告に対し国家賠償法第1条第1項又は民法415条に基づき慰謝料等2000万円及びこれに対する不法行為の日(令和元(2019)年5月6日)から支払い済までの間の民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払いを求めて提訴したものです。

前提事実(争いのない事実)の概要

(1) 亡Aは、令和元(2019)年5月6日、職場におけるパワハラ等に耐え切れなくなったことなどを内容とする遺書の残して自殺したこと。

(2) 亡Aが勤務していた消防本部予防指導課には、予防指導係と危険物係が置かれていて、危険物係の所掌事務は、予防・危険物統計の調査や危険物取扱者の指導等に関するものだったこと。

(3) 課の構成は、課長1名、係長2名、主事1名の4名であり、係長は課長補佐を兼務することもあったこと。

(4) 危険物係長は、平成31(2019)年3月31日まで、昇進前のF課長が務めていたが、同年4月1日付けでF課長が、同課の課長に昇進しことに伴い、亡Aがその後任として着任したこと。

(5) 亡Aは、危険物係に関する業務は未経験であったこと。

(6) 亡Aの自殺にかかる被告の調査等の概要は、次のとおりです。

ア 令和元(2019)年6月10日、原告らが被告の議会に対して、本件自殺に関する第三者委員会の設置を求める請願書を提出したことを受けて、同年8月17日に被告パワハラ問題に関する第三者委員会(以下「委員会」という。)が設置されたこと。

イ 委員会は、令和2(2020)年3月16日付けて報告書を発出した。その内容は、F課長によるパワハラの存在などに関するものだったこと。

ウ 被告は、これを受けて、令和2(2020)年3月19日付けで、F課長に対する停職6月の懲戒処分と、消防士長への降格の分限処分を行ったこと。

エ F課長は、これらの処分を不服として、県人事委員会に審査請求を行ったこと。

オ 県人事委員会は、令和3(2021)年8月5日付けで、懲戒処分を承認する一方、分限処分を取り消す旨の採決を行ったこと。

争点

パワハラによる国家賠償法第1条第1項による責任の有無

※その他の争点は、この記事の中では省略します。

裁判所の認定事実に見るパワハラ等の状況

(1) F課長は、予防指導課長着任前の7年以上にわたり危険物係における業務経験を有していました。

(2) 危険物係長の下の主事として、平成27(2015)年10月1日から平成30(2018)年9月30日までは職員Hが、また、それ以降は職員Iが配置されました。職員H及びIは、予防指導課への着任前には危険物係の業務に従事したことがなく、当時危険物係長だったF課長もこのことを認識していました。しかし、危険物係長だったF課長は、職員H又はIからの業務に関する質問に、まともにとりあわなかったため、職員H及びIは、他の消防署勤務の職員に助力を求めるのが常態化していました。

(3) これ以外にも、危険物係長だったF課長は、受話器や扉の開け閉めが乱雑で、激しい音を立てるなど、周囲に対する配慮を欠く行為がありました。また、そうした行為は消防本部の職員に対してだけでなく、危険物係を訪れた者に対しても横柄な態度がありました。

(4) 亡Aも、F課長のこうした状態については認識していました。

(5) 亡Aは、平成31(2019)年3月15日までに、自分が危険物係長の後任候補に挙がっていることを知り、J署長に、そうした人事異動を行わないように相談したものの、J署長からは、誰かが危険物係長の業務を担う必要があると言われました。

(6) 亡Aは、予想される人事異動への不安等から不眠の症状をきたすようになり、3月20日の内示を受け、一層その不安を募らせました。

(7) 亡Aは、平成31(2019)年4月2日から危険物係長としての業務を開始したが、消防本部の危険物係の業務経験がなかったことから、その業務を遂行するには、その知見を十分に有する者による適時適切な助言が不可欠な状態にありました。

(8) 平成31(2019)年4月1日以降、F課長が危険物係の業務を知る唯一の存在であったが、F課長の亡Aへの対応は次のようなものであり、亡Aは自殺に至るまで、危険物係の業務に関する知見を獲得できない環境に置かれていました。

ア 予防指導課を訪れた業者に対して、F課長は亡Aが業務に関する知見が不十分だと述べたり、亡Aを軽んじる言い方で資料を持ってくるように指示したりしました。

イ 同僚や後輩職員の面前において、勤務年数が長にもかかわらず初歩的なことが理解できていないと繰り返し叱責しました。

ウ F課長は、業務に関する亡Aの質問に対して、資料の所在を漫然と述べたり、大部に資料を投げるように渡したりするにとどまり、また、亡Aが他者からの助力を得ることを妨げ、時には亡AがF課長に質問したことを責めるような発言をしました。

エ 検査業務や受付業務は予防指導課長の職責に属しないなどとして、これらを亡Aのみで担うように述べました。

判決の概要

(1) F課長は、亡Aの直属の上司であるとともに、危険物係長の前任者でもあり、亡Aが唯一相談しうるはずの存在であるので、亡Aとの関係で業務上の優越的地位を有していました。

(2) F課長は、そのような優越的地位を背景としつつ、亡Aに対してその業務内容に関する十分な説明をしないままに、その業務を亡Aに丸投げし、亡Aの業務上の失敗を他者の面前で公然と叱責するなど、適正な範囲を明らかに超えた業務を強いたものでした。これにより、亡Aに強い精神的な苦痛を与えたことが認められ、F課長の言動がパワハラに該当するのは明らかです。

(3) このようなF課長のパワハラは、国家賠償法上の違法な公権力の行使に該当します。

(4) 予防指導課におけるF課長の態度や亡Aが書き残した各種文書の内容等から、F課長のパワハラと亡Aの自殺には因果関係があると認められます。

(5) これらのことから、F課長は違法な公権力の行使により亡Aの生命を侵害したと認められるから、被告は、原告らに対して、国家賠償法第1条第1項の責任を負います。

(6) 死亡慰謝料及び原告らの固有の慰謝料を2400万円及び300万円、亡Aの死亡による逸失利益を5673万4217円とする判決です。

(7) 遅延損害金の起算日は、亡Aの死亡日の令和元(2019)年5月6日とされました。

※その他省略

所感

パワハラについて

令和元(2019)年に改正された労働施策総合推進法(「労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律」)において、事業主には、職場におけるパワーハラスメントを防止するための措置を講じることが義務付けられました。

厚生労働省によるパワーハラスメントの定義は、職場において行われる①優越的な関係を背景とした言動であって、②業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、③労働者の就業環境が害されるものであり、①から③までの3つの要素を全て満たすものとされています(客観的にみて、業務上必要かつ相当な範囲で行われる適正な業務指示や指導については、職場におけるパワーハラスメントには該当しません。)。

まず、①の「優越的な関係を背景とした」言動とは、業務を遂行するに当たって、当該言動を受ける労働者が、行為者に対して抵抗や拒絶することができない蓋然性が高い関係を背景として行われるものを指します。職務上の地位が上位の者による言動はもちろんですが、同僚又は部下による言動であっても、当該言動を行う者が業務上必要な知識や豊富な経験を有しており、当該者の協力を得なければ業務の円滑な遂行を行うことが困難である場合には、これも「優越的な関係」に当たります。

次に、②の「業務上必要かつ相当な範囲を超えた」言動とは、社会通念に照らし、当該言動が明らかに業務上必要性がない、又は業務上の必要性に照らしてその言動が適切でないものを指します。この判断に当たっては、当該言動の目的や、当該言動が行われた経緯、行為者の関係性等を総合的に考慮することが必要とされています。

そして、③「就業環境が害される」とは、当該言動により、労働者が身体的又は精神的に苦痛を与えられること、また、それにより就業環境が悪化したために、労働者が自己の能力を発揮することに重大な悪影響が生じる等、当該労働者が就業する上で看過できない程度の支障が生じることを指すとされています。そして、この判断に当たっては、「平均的な労働者の感じ方」、すなわち、「同様の状況で当該言動を受けた場合に、一般の労働者が、就業する上で看過できない程度の支障が生じたと感じるような言動であるかどうか」を基準とするとされています。なお、言動の執拗さ(頻度や継続性)は重要な判断基準ですが、強い身体的又は精神的苦痛を与える言動の場合には、1回でも就業環境を害する場合があるとされています。

これらは、行政上の基準なので裁判所がこれに拘束されることはないのですが、判決でもこの要件を確認しているように思います。つまり、亡Aと比べてF課長は「優越的な地位」にあること(①)、F課長は、亡Aにとって業務上相談ができる唯一の存在であったにかかわらず、質問をしても取り合ってもらえず(②)、同僚の面前での繰り返される叱責や外部からの訪問者に対して亡Aを軽んずるF課長の言動(③)など、この要件への該当性を確認してパワハラを認定していると思います。また、②の要件としては作為だけでなく不作為の含まれ、本件の場合はF課長の不作為が問題となったのだと思います。

本件は、平成31(2019)年3月15日までに、亡Aが、自分がF課長の後任の危険物係長の候補者として挙がっている段階から不眠等の不調が生じ、4月に実際にその業務を開始した後1か月あまりで自殺に至るという非常に短期間の出来事でした。今回、裁判所が認定した事実だけ見ても、「平均的な労働者」がF課長の行為をパワハラと感じるであろうことは容易に想像できますし、厚生労働省が定める労災認定のための「心理的負荷による精神障害の認定基準」に照らせば、当然「強」に該当するものです。

国家賠償法について

今回、原告らは、被告に対し国家賠償法第1条第1項又は民法415条に基づき慰謝料等を請求し、判決は「国賠法1条1項の責任を負う」としました。

国家賠償法は、「国又は公共団体」が対象であるため、名称は「国家」賠償法なのですが、都道府県や市区町村にとっても重要な法律です。特に、道路や河川などの公有財産の管理を行う上では、同法第2条第1項の「道路、河川その他の公の営造物の設置又は管理に瑕疵があつたために他人に損害を生じたときは、国又は公共団体は、これを賠償する責に任ずる。」というのは重い規定です。

本件では、同法第1条第1項の「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。」が問題となりました。

通常、この条文は、民法709条及び715条に対する特別法の位置づけと考えられます(まったく同じものではありませんが)。つまり、民法709条の不法行為責任(「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。」)及び第715条の使用者責任(「ある事業のために他人を使用する者は、被用者がその事業の執行について第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、使用者が被用者の選任及びその事業の監督について相当の注意をしたとき、又は相当の注意をしても損害が生ずべきであったときは、この限りでない。」)と国家賠償法第1条第1項と比べて、同じ内容を規定していると考えられる部分は、国家賠償法第1条第1項が優先して適用されるということです。

そして、この規定は、①行為者が、国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員であること、②その職務を行う中で問題の行為が行われたこと、③行為者に故意又は過失があること、④それによつて違法に他人に損害を加えたこと、これらの要件を満たしたときに「国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。」ことを規定しているものです。

判決は、F課長のパワハラの認定によって国家賠償法第1条第1項の「職務を行うについて」及び「故意」を認定し、次に「亡Aの生命を侵害した」と言っているので、これは「違法に他人に損害を加えた」の要件を満たすものとしています。

今回の判決では、被告の責任が認められたわけですが、その後、どう展開しているかまでは、この資料ではわかりません。しかし、最終的に被告の責任が認められるのであれば、被告としては国家賠償法第1条第2項の「前項の場合において、公務員に故意又は重大な過失があつたときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する。」の規定により、F課長の責任も明らかにしていくものと思います。

なお、私は、国家賠償法第1条は「公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて」と規定していることから、「その職務」も公権力の行使にかかるもの、すなわち行政機関から外部に対して行われるものが対象と考えていました。そのため、本件のような組織内部の関係であって、公権力の行使というよりは組織内部の規律の維持のような場面でも、この条文の適用があることに驚きました。これを機に、「その職務」を公権力の行使にかかるものと勝手に限定解釈していたことを反省し、この条文の読み方を一つ勉強できたと思っています。

組織としてのハラスメントの予防

亡AがJ署長に、自分を危険物係長にするような人事異動を行わないように相談した際に、J署長からは、誰かが危険物係長の業務を担う必要があると言われたとのことでした。確かに組織の視点からすれば、J署長がそう答えることは想定の範囲内だと思います。

しかし、結果として、その考え方が亡Aの自殺を誘発したことにもなるわけで、こうしたことを繰り返さないためにどうすべきかを考えなければならないし、当然、第三者委員会では、そうした内容の提言もあったのだろうと思います(この資料には掲載されていないので、これ以上はわかりません。)。

また、人事異動においては、その職位に就くことが適切な者を充てるのが基本です。そして、職員の評価や昇進昇格の基準をどうするのかは組織運営においてとても重要なのですが、裁判所が認定した事実だけを見ても、課長に昇進する前のF課長の言動が昇進昇格に値するものだったのかは疑問です。

ハラスメントがない職場をつくるには、職場の雰囲気や環境をみんなで変えていく取組みが大切ですし、そのための研修や人材育成を継続的に実施することなども必要だと思います。

本件のようなハラスメント事案の発生を予防していくことは、働きやすい職場を形成することにもつながり、それは人手不足の時代において、どこの会社でも大切なことだと思います。

主役は誰か

組織において人事異動は当然あることを考えれば、業務の引継ぎもまた当然に起こることです。

そのとき、本件のF課長のような対応をしていたのでは、組織として業務が回らないでしょう。

今回、裁判所が認定した事実の中に「検査業務や受付業務は予防指導課長の職責に属しないなどとして、これらを亡Aのみで担うように述べた。」とあるのですが、課長は課を統括する立場にあるわけで、F課長のこの発言は課長の職責そのものを理解していないことを示しています。

また、そもそも消防本部の中で危険物係の業務を円滑に行うことは、消防本部のためでも、ましてF課長のためでもなく、その先にいる市民のためのはずです。つまり、消防本部が所掌する各種法令は、社会の構成員全員がルールを守ることで安心安全な地域社会を実現・維持しようというものなのですから、主役は市民であるはずです。

それにもかかわらず、亡Aがその業務を適切に行おうとして、助言を求めてもこれに真面目に対応しないとか、亡Aが他の職員に助力を依頼しようとしたことを妨害するとか、こうしたF課長の対応は、市民が主役であるという視点を欠くものです。

県の人事委員会は、被告の行ったF課長への分限処分を取り消しました。しかし、公務員として、その中でも消防本部の課長として、市民目線での勤務ができていないことは、パワハラ行為、そしてそれが亡Aの自殺を誘発したことの責任とともに、とても大きな問題だと思いました。

以上

 

 

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