令和5(2023)年10月26日に、この判決が出されています。
事件は、S自動車学校(原告)に、教習指導員見習いとして採用された被告が、原告との間で、「講習・資格取得費貸与契約書」(以下「本件準消費貸借契約」という。)を交わして講習を受講し資格を取得した後、短期間勤務して退職したことに伴い、原告が被告に貸与金額の返還を求めたものです。
なお、資料として、労働経済判例速報(令和6年8月20日)を使用しました。
原告と被告について
原告について
・原告は、K自動車学校を営む会社です。
被告について
・令和4年4月1日に、被告は、S自動車学校に教習指導員見習いとして採用されました。
・被告は、採用直後から、教習指導員資格を取得するため、A研修所で講習を受け、令和4年5月6日に教習指導員審査に合格しました。
・被告は、令和4年5月12日から令和5年1月9日の退職まで、教習指導員として原告で働いていました。
事件の概要
裁判所の認定事実
・ 法令上、指定教習所で教習指導員業務及び検定業務を行うためには、公安委員会が認めた教習指導員等の資格が必要である。
・原告は、新規雇用者については、教習指導員見習いとして採用し、原告が経営する自動車学校で事務作業に従事させつつ、同所において事前教養及び事後教養を、A研修所において講習をそれぞれ受けさせたうえで、公安委員会の審査を経て教習指導員資格を取得させることとしていた。
・被告は、令和4年4月1日に原告での勤務を開始した。
・令和4年4月1日、原告と被告は本件準消費貸借契約を取り交わした。
この時の条件
・被告がA研修所において教習指導員資格取得するための講習及び資格取得に要する費用は、原告が立替えて支払い、当該立替分を消費貸借の目的とすること。
・被告は、教習指導員資格取得後3年を経過する前に退職するときは、退職時までに原告に対して貸付金を支払うこと。
・被告は、教習指導員資格取得後3年を超えて原告に勤務し続けたときは、被告の原告に対する貸付金の返還を免除すること。経過する前に退職するときは、退職時までに原告に対して貸付金を支払うこと。
被告の状況
・被告は、令和4年4月1日に原告での勤務を開始し、その直後からA研修所での講習を受け、指導員審査に合格して、同年5月6日に教習指導員資格を取得した。
・原告は、A研修所に対して、被告が教習指導員資格を取得する際に、A研修所で受講した講習の費用として47万9700円を支払った。
・令和5年1月19日、被告は、一身上の都合により原告を退職した。
請求の趣旨
被告は、原告との間で締結した本件準消費貸借契約に基づく貸付金を支払え。
争点
本件準消費貸借契約が労働基準法第16条によって無効となるか。
原告の主張
・被告は、教習指導員資格を取得することに合意していた。
・教習指導員資格は国家資格で、資格保有者には多数の求人があり、費用については、本来被告が個人的に負担すべきものであること。
・教習指導員資格を取得することによって月額3万円の起用集検定手当が得られるので、本件準消費貸借契約は、被告の退職の自由を制限するものではなく有効である。
被告の主張
・教習指導員資格は一般的通用性がない。
・資格と職務との関連性が極めて強い。
・A研修所における研修を受講して教習指導員資格を取得するよう原告から強制された。
・返還金額が高額で、免除までの拘束期間が長いことによれば、本件準消費貸借契約は、労働者の退職の自由を不当に誓約するものとして労働基準法第16条に違反する。
裁判所の判断
「教習指導員資格は、それを取得することによって指定指導者教習所において教習指導員業務及び検定業務に従事できる国家資格であり被告個人に帰属するものであるから、本来であれば資格取得者である被告個人が費用を負担すべきものといえる。」
「当該国家資格を取得すれば、原告において教習指導員として勤務できることに加え、自動車教習所といった限られた業界であるものの転職活動等で有利になるのは当然であり、被告は、当該資格の取得によって利益を得たと言える。」
「本件準消費貸借契約における契約内容をみても、貸金額は47万9700円であり、教習指導員資格を得て原告において教習指導員として稼働すれば毎月3万円の手当が得られるから、投下した資本について比較的早期に回収することができるといえる。」
「被告は、A研修所において研修を受講している期間も原告から賃金の支払いを受けており、拳固における雌雄労を免除され賃金を得ながら一定の汎用性を有する国家資格を得ることができたといえる。これらの事実によれば、本件準消費貸借契約の内容は、合理的な内容であるといえるから、被告が本件準消費貸借契約の締結を強制されたということもできない。」
「返還免除に要する3年間という期間についても特段長期にわたるということはできないことを考慮すれば、本件準消費貸借契約は、退職の自由を不当に制限するとはいえない。したがって、本件準消費貸借契約は、労働基準法第16条に反するということはできず有効である。」
結論
本件準消費貸借契約は有効である。
所感
この判決は、妥当な判決です。私がそう考える理由は次のとおりです。
労働基準法第16条は「使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。」と規定しています。
この解釈について「費用の援助が純然たる貸借契約として定められたもの、すなわち、その一般的返済方法が労働契約の不履行と無関係に定められ、単に労働した場合は返還義務を免除することが定められているにすぎないと認められる場合は、本条に抵触しない」(令和3年度 労働基準法 上 厚生労働省労働基準局編)とされています。
裁判例
藤野金属工業事件
この判決では、「労働関係において、使用者が被よう者の願出により技量資格検定試験受験のために社内技能者訓練を実施し、使用者において、材料費を含む練習費用(略)などを支弁し、(略)、合格又は不合格の決定後約定の期間内に退職するときは、右の金員を使用者に返済し、約定の期間就労するときはこれを免除」する場合、「その費用の計算が合理的な実費であつて使用者側の立替金と解され、かつ、短期間の就労であつて、全体としてみて労働者に対し雇よう関係の継続を不当に強要するおそれがないと認められるときは、労働基準法第16条の定める違約金又は損害賠償額の予定とはいえない」としています。
河合楽器製作所事件
昭和52年12月23日の静岡地裁判決(河合楽器製作所事件)でも、労働基準法「第16条が労働契約の不履行について違約金を定め又は損害賠償額を予定することを禁止しているのは、労使関係において違約金等の定めをすることが、労働者の自由意思を不当に拘束して労働者を使用者に隷属せしめ、退職の自由を奪うことになる危険性を有しているからである。」としたうえで、「被控訴会社との貸与金契約は、控訴人X1及び同X2が養成所に入所する際純然たる貸借契約として定められたものであり、同人らが養成所を卒業して被控訴会社へ入社する際締結した雇傭契約とは別箇の契約として締結されたものであること、研究生は、養成所卒業後被控訴会社へ就職するか否かは自由であり、被控訴会社へ就職すれば退職時まで貸与金12万円の返済が猶予されていたに過ぎないこと」、また「控訴人X1及び同X2は貸与金12万円を返済すれば何時でも退職が可能であり、現に同人らの養成所時代の同期生の多くが貸与金12万円を返済して被控訴会社から退職していることに照らせば、控訴人X1及び同X2が、貸与金契約が存在するために1年以上にわたる労働関係の継続を不当に強要され、被控訴会社に隷属せしめられて退職の自由を不当に制限されたとまでは認め難い。」としています。
類似の事例
私が自治体で看護職員確保対策を担当していたときにも、これに類する奨学金制度がありましたし、独自にそうした奨学金制度をもっている病院も数多くありました。
内容は、看護師等の資格を取得するための養成所に通うための学資としての貸付を行い、資格取得後に一定期間、特定の地域の医療機関であったり、特定の病院等で就労することで、その奨学金の返還を免除するものです。
自治体の貸付制度は借りる人との間で労働関係を持たないので、直接このことに関係するわけではありませんが、各病院の持つ制度は、本件事件の対象となった支援策に類するものです。そのうえで、前述の労働基準法第16条の解釈にある「費用の援助が純然たる貸借契約として定められたもの、すなわち、その一般的返済方法が労働契約の不履行と無関係に定められ、単に労働した場合は返還義務を免除することが定められているにすぎないと認められる場合」に該当するものですので、同条の規定には抵触しないものです。
看護師等の医療従事者は人材不足感が強い職種の一つですが、これを補うための手法として、奨学金をインセンティブとして活用することが行われているわけです。
そして、利用者の側からしても、看護師等の医療従事者になりたいという夢を持ちつつも経済的理由でそれを諦めざるを得ない人等にとって、一定の条件のもとに費用の援助を受けることで、あきらめかけていた夢を実現できることは、素晴らしいことです。
本件被告
本件被告の場合は、そこまでの強い意欲はなかったと思いますし、それが「教習指導員資格は一般的通用性がない。」という主張にもつながっていると考えます。
しかし、会社が業務時間を使って被告個人に帰属する資格取得を支援する意味を考えれば、裁判所が「当該国家資格を取得すれば、原告において教習指導員として勤務できることに加え、自動車教習所といった限られた業界であるものの転職活動等で有利になるのは当然であり、被告は、当該資格の取得によって利益を得たと言える。」と判示するのは当然の帰結です。
その意味で、本件被告には、自身のキャリア形成についてしっかり考えていくことで、今後の働き方又は働く意識の変化を期待したいところです。
以上です。